がん治療サバイバーMikiさんの101人目の名医が主治医

がん宣告から治療と治療中断とそれからそれから…101人目とは?

あれから、それから。そして、あの時。

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いちょうの色が

緑から黄色に変わるのが

可愛い

ヒラヒラしてるのが

なんだか

蝶々みたいで、、、。



二年と半年位前

副作用がひどいので

辞めると告げた主治医の先生に


『私のレベルで途中で治療を辞めた方がた、

その後どうなりましたでしょうか?』


そう質問したら


『その後連絡とれない方の様子は

わかりません。そんなにいませんし、珍しい

ので、、、、。』

とのことでした。


その病院を後にしてから

副作用には

ちょいちょい悩まされましたけど

今年の春頃

爆弾が落ちたような

大きな副作用に見舞われました。

ただそれは時期的に

血管の内膜が生まれ変わるような

必要性あるものだったんじゃないかな、、、。


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クスリ指に残った小さいシコリ

ピリッとね。



2016年11月20日

安保徹先生のお話の最後

質疑応答で

あろうことか

私は身の上話をしてしまった。


『今年5月にガンと通達され、

仕事も介護、私生活も介護で、

先生のおっしゃるような

過酷な生活を送ってましたから、

あ、そうだ😃💡仕事を辞めよう❗️

そして、インコと生活しよう❗️

そう想いました。

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(すると先生はハッとされたようでした)

先生の本を探し、<免疫を上げる方法><人がガンになるたった2つの条件>

これを見つけ更に<免疫革命>

これはまだこれから読むのですが、

先生のお考えに大変共鳴し、

これからずっと勉強させて

頂きたく想っております。』


と、のたまると

先生は



『やっぱり並みのストレスじゃなく

自分を超えて追い込むような

真面目すぎ、だったんだね、、、。

真面目はいいことだけども

身を滅ぼすほどにはね、、、。

私だったら極限まで頑張らないよ(笑)』

と笑いを誘い、

『だけどもね

みんな、私のところに来た大病やった人が

たくさんいたけども、

そのあとにいい人生送ってる。

大病って人生の経験だから、悪くはないんだよ。

あなたね、見通しは明るいです‼️』



優しい言葉と

はっきりした

励ましの言葉を

いただいて

頬を紅葉させて私は、

意気揚々

弾むように帰ってきました。


もう

生のお話聴けないけれど


私の


一生の恩師です。

11月まつび。

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副作用の大爆発の

それから、それから?


静かに過ごして

気がつけば

6ヶ月。

今の身体はどんなかな。

もしもし?

100人の名医様方々


寝起きは

肘の関節痛と

体幹部分の筋肉痛

常時

両クスリ指の麻痺しびれ

これはまだ続きますよね☺️



対処として

1日何度もする事は



深呼吸

お日様当たること

きーちゃん可愛い❤️って言うこと

柔軟体操

八の字体操

スクワット

そして、歩くこと、、、。



腹と背の温めホッカイロは

寒い日の常備薬💖


それから、それから?


今月中にしたかった

岩盤浴とヘアカット

行きましたよ🎵


そんなこんなで

11月も終わります。



また


巡ってきますね

忘れることのない12月。

スタコラ散歩の後ろ足

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昨夜の右クスリは

少しだけぎこちなかった

ぐっすり睡眠したあとは

まあまあのご様子

お腹に着けたホッカイロがぽっかぽか

今日は日差しも気持ちよく

歩きながら顔面丸ごとぽっかぽか

岩盤浴

ヘアカットには

今月中に行きたい、、、けど

あっという間の11月。



ばーちゃんと朝の会話で

(足首は少し痛いんだよね〰️⁉️)

と聞いてみると

(そうなんだよ〰️。一週間くらいしたら

だんだん痛くなってきたよ➰。)

あ、、、時系列、合ってますょ。

ただ、痛みはいうほどでなく、歩けてるから

大丈夫!

ゆっくり治ってくれるでしょうね🎵

スタコラ散歩のそのあとで。

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母を送ったそのあとで

この曲だけを

唱いにスタコラ

何度か唄ってご機嫌上々✨


さてさて


帰ろうその時に

3度の着信内容は

母、すってん転んだその知らせ、、、。


(あっちゃ〰️、ここのとこ、調子良かったから

二歩下がる、時かな➰)

なんにせよ

状況を聞いて、

診察の必要があるかないか、

頭は打たなかったと複数の証言、

(歩き始めて数日経った頃にも

デイの椅子から転んで頭打ってたので、😧)

足の痛い箇所は、、、前からだし、

後は普通に歩けてる、、、のだから、


病院から検査なしに帰してもらった。

家でも様子は変わらず

翌日はリハビリの先生に

みてもらってるから

明日

散歩はどうしようか迷ったけど

本人いわく

(あんなに派手に転んだのに

何ともないって不思議!明日も

いつも通り行く。)


いつも通りに行くそうです😅


そうそう

日曜日に買った新しい電話

今日ちゃんと

私にかけてくれたから、

これから試しにかけてみるね😄


さて

出るかな、出るかな⁉️

スタコラ散歩の応用編

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週3の散歩は

朝のお天気を確かめて

曇ってるけど地面が濡れてないから歩こう🎵

そんな感じでスタート

今日は不意をついて、かかと上げ下げしてからね🎵

(おかーさん、元々運動すごい出来たのに

いま、出来ない〰️)

と言って振り払うから

無理じいはしない。

日々歩ききるのが、目的だから

気分下がらないようにニコニコ😁✨✨

ここんとこ、急に歩けなくなった

という考えが思考を支配しているようだから、

認めた上で

(でも、また歩けるようになったね、凄い‼️)

と、

繰り返し話してニコニコ😁✨✨

誉めて誉めてほめたおす。

今日も無事、送り出し。

昨日も、人混み久しぶりに歩いたから

ホントにお疲れ様です😌💓

夜はまた9時には眠くなるかしら、、、

母も

私も。

忘れてた…‼︎

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バラは年に2回


花を咲かす時期があると


だいぶ前に聞きました


5月頃と10月頃かな


気持ちの良い時期ですね☺️



朝の二人三脚散歩も


約一カ月…


どんなに


前日楽しくても、


どんなに


出かけがスマートでも、


歩き始めると


怒涛の2人…。


忘れてた…


今朝、補聴器の電池を


『いし』と呼んだ母。


まだまだどっぷり


浸かってるんだった。


センターへの道のりで


日々つぶやく


『急に歩けなくなったよ?』


の言葉に


つい私は


『徐々になったんだよ。』


なんて答えてたのに気がついた!


(あっちゃ〜…何がプロよ…


私、寄り添ってないじゃん💦)



組んでいる腕を整えて


『そうだね〜。


いつからだったろうね〜?』


すると、母は


『そうだよね〜、


いつの間に


歩けなくなったんだろうね〜。』


と全身に落ち着きを見せ、


その後も何度か


2人はそのやりとりを繰り返した。


(あ〜、私はこれを忘れてた…。)


そして


【歩けなくなって】から


【歩き出した】母を


いつもの怒涛の時間は消せたまま


朝の二人三脚散歩は終了。




忘れていたのは


なんと


私のほうであった…








追憶

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影響があったかも…のお話し。


42日間の入院で


わたしのベッドのお隣は


御高齢の方になった


私は血管が細く


その方も細く


夜中、


点滴の管を外してしまうらしかった


その都度


看護師さんにお叱りの言葉を


受けていたのがよく聞こえ


見てなくても


その惨状は目に浮かんだ。


だが昼間はにこやかに挨拶を交わし


私のリハビリの先生に訴える


『動かさないから


動けないのですよねー。』


の声を聞き


何か感じられていたかも…。


その方もリハビリの時間は


先生の声がかかると


痛いとは言いながらも


こまばず


積極的に


動かれるようだった。


一度声をかけてみた。


『すごいですね。


私は寝てばかりだったから


腰やお尻が痛いんですよ。』


すると


その方は


故郷の話、ここへ来る前の話、


亡くなられた御兄弟の


遠い記憶の中の


新しいまざまざとした追憶を


話される。


私は大きくうなづくきながら


その方の斜め前でジッと立ち


30分ほど聴いていたと思う


『私はおばあちゃんだけど


いいわね、あなたは、お若くて。』


とおっしゃるけど


その瞬間の微笑みが


とても可愛いと思ったので


『失礼かもしれませんが…


こんな可愛い笑顔をされる方なので


年齢は関係ないと思います。


素敵ですね。』


と言い


両の手を差し伸べて


握手していただいた。


すると前より大きく微笑まれ


にこやかに笑った。


そして何日か過ぎ、


私の文字練習に使っていた


あいうえお帳の2冊目を


思い切って


差し上げてみた。


もちろん病院なので


看護師さんに確認した後に。


『今、私の使っているものと


同じなので良かったら


使っていただけませんか?』


と尋ねると


快く受け取ってくれた。


その頃にはその方も


車椅子でナースステーションへ


行くようになっていたので


私はふと


覗いて見てみた。


すると


ノートを使って


色を塗っているのが見えた。


(あ…使って下さってる。良かった。)


しばらくして


私の退院が決まると


なんとその方も


私の1日後に


退院が決まったようだった。


(お話し、したいな。)


その方は


元居た施設に戻るらしかった。


そして故郷の話、戦争の話、


御兄弟の話…前の時と同じだった。


やはり


亡くなられたお兄様の話では


お辛そうに


『自分は病気ばっかりして、


こんなに生きちゃって


つらい…』


と、話すから


『お兄様はずっとずっと


見守っていらっしゃいます。


こんなに笑顔が素敵な方…


きっとずっと


お側にいらっしゃいます。


お兄様の分まで


どうかもっともっと


お元気にお過ごし下さいね。』


と言い


握手して下がろうとしたら


『あなた、名前、


どちらにいらっしゃるの?


またきっと逢えるわよね…』


そう丁寧におっしゃるので


『もちろんです‼︎


私も頑張りますから


頑張りましょう‼︎』


私と同時期にリハビリを始めた


その方は90代…


とても素晴らしい回復力


当初誤嚥も見受けられたが


自身のペースの食事、


周囲の方とのユーモア交えたお話、


出来る範囲での移動など


退院時はすっかり良くなられて


私より回復力はずっとずっと


上だ。


影響は


一方ではなくて


私であり


その方であり


きっと双方であったのだと思う…。



















リハビリ散歩は三歩から…

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1日一歩


3日で三歩


3歩進んで2歩下がる🎶



ばーちゃんとの


センターまでお供


何日めかな…


10月1日から始めて


3日坊主じゃなかったけども


挫折しそうになるのは


毎度のこと。


まだ一ヶ月足らずなのに


強烈パンチを今日もくらった…


センターの車の停車場に


よく知るみなさんがいつもより


多くいらっしゃる


母のつぶやきが聞こえ


私は一瞬にして


その後の怒涛の時間に気がついた


『私も車乗ってこう‼︎』


もちろん


そんな連絡はセンターにしていない


怒涛のやり取りに喉を枯らし


息を上げながらも、


関所を通過し


深呼吸して


お供して歩くを続ける。


次のポイントは


休憩を取る地点…


今回は機嫌を損ねてしまったため


休憩地点は無視された。


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それでも目的地まで着くと


『帽子は預かるから、


もうまっすぐ行ってね、


お疲れ様でした。』


と言って肩を揉むと、母は


『ありがとうね』


というから


すべてが消えてチャラになる。



今年50の娘は


この10年ほどで


最高の時間を誕生日に迎えた事を


昨日母と分かち合えたから


怒涛のやり取りはすぐ消せる。


母も強いが


私も強い。


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少し冷えてきた頃(忘れないで)

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10月のコスモスに


美味しそうに蜜を吸う


蝶がクルクル舞っていたので


調子に乗って寄って


カシャカシャしてたら


ヒラヒラ逃げた。


…ごめんね…。



今日のような日は私には涼しく


肘や膝の関節痛が


以前より弱くはあるが


感じられる…


やっぱり、温めるって大切ですね。



新しいイヤフォンを買ったので


ユーチューブで


先生のお話を聞いて


ほっこりとする…



治療の後の後…


手の関節が一つ凹んでしまったり、


片足ふくらはぎが柔かったり、


両肩の筋肉が削げていたり、


ひょっとすると


別の病まで引き起こしてた


可能性もあったかもしれないけど



病は可逆的なのでしたね…



温かくして


柔らかくして


筋肉鍛えて


日々過ごしていきます。


先生のお考えが


私の活きる基盤です。



これからもずっと…。