がん治療サバイバーMikiさんの101人目の名医が主治医

がん宣告から治療と治療中断とそれからそれから…101人目とは?

迷いと決断

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2016年春から夏、秋にかけて

私はこれまでの人生において最大級の

決断をすることになった。


長らく更年期の症状と思われていたというか

『あー、もー年ですからねー。更年期ですねー。』

と言われてきた症状が

大きく大きくなり

市販の痛み止めも効かなくなっていることから

覚悟の検査へ行く事となった。


そうして、『ガンです。』

という言葉の衝撃によって

私は奈落の底に突き落とされた。


仕事も辞め、これからの闘いの準備はまず

セキセイインコを我が家に迎える事であった。

私は告知の当日にインコを迎える事で

ただただ、

死んでしまうかも、、、の恐怖に襲われる事なく

生れたてのインコを手のりに育てるため

お世話に追われる時間を求めた。


そうして、心の準備をし、1ヶ月後に

手術の予定もほぼ決まった。

『お願いします‼️

できればもっと早く出来ませんか?

1ヶ月も待ってると

もっと進んじゃうんじゃないですか?』

『いや、1ヶ月位では進まないよ。』

『、、、わかりました。』

もう、先生の言うがままである。


日中はインコのきぃちゃんの餌付けで、

3時間ごとに体温に温めて

ふやかしたアワをスプーンにのせて与えると、

『ぎぃえっ〰️、ぎぃえっ〰️、ぎぃえっ〰️、

ぎぃえっ〰️‼️』

あり得ないくらいのスピードでついばむ。

それはそれは、可愛いので携帯で写メとビデオを

いっぱい撮っていた。


しかし、その合間にネットの検索をしたり、

本屋であらゆる本を片っ端から手にしたり、

標準という言葉を知った。

『標準、、、?最高じゃないのね??』

とかなんとか考えたりして、体験談を見つけ

あらゆるジャンルの本を読んで、試してみたりして

知識も少しずつ増えていった。

だが、闘病記なるものには、私と同程度のステージ

悪性度では読んでも気の滅入るものが多かったが、

一部、種類は違うが、

自身の知恵と努力で

生き続けている方を見つけたりもした。

この方には逢ってみたいと思った。

だが、現実は全てお任せのマナイタノコイ、、、。


手術の後の検査では

『リンパにありませんよーに。

抗がん剤になりませんよーに。』

と祈っていたが、

『3ヶ所リンパ節にありました。

抗がん剤治療です。1ヶ月後です。』


『あ、、、ガーン😨😨😨』

【心の中の葛藤】

『え、、、だって、リンパにあるって、

本当はいいんじゃないの??

抗がん剤って普通の細胞も死んじゃうのか、、、

でも、やらないといけないのね?、、、やろう!

大丈夫!死にたくない!!生きていたい!!!』


迷いに迷ってはいたが、やるべき事は

抗がん剤を頑張る!』だと思っていた。

そんな迷いがさらに膨らんだのは、

使用注意として、日にあたってはいけない、

半年経つと骨折しやすくなる、こんな説明を

みつけたのだ。

【葛藤悶絶中】

『、、、むむむむむ、、、。』


さてさて、葛藤しつつもその日はやってきた。

1回目の化学療法入院で、その辛さ、まず有名な

部分では髪が抜けていった。

『まるで、番長皿屋敷ね、、、。』

その他、副作用は全身の筋肉痛、神経痛があり、

足の痺れによって歩き辛くなり、

夜中にトイレに起きると心臓がバクバクし、

気分悪さももちろんあったりした。

あと、もっともビックリしたのは

この世の事か❓️ほどに思われた、

投与後、すぐ起きた便㊙️だった。

それこそ『し、死ぬかと思った〰️😵😵😵』


そして恐らく大問題だったのが、

血管炎というモノだった。

看護師さんたちは、冷やしたり温めたり

必死になって対応してくれた。

『大丈夫?痛くない?』

私は

『ひきつれていたいんですけど、

そんなでもないですぅ。』と腕をペシペシ叩いたら

血相変えて止められた。

『だ、ダメですよ!』


これだけ、身体中、血管も傷めつけてる、、、。

『これは、いいのかな?

ほんとに、これでいいのかな?

やめたい、やめたい、やめたい、、、。

やめなくては、、、。やめると言わなくては!』


次の診察でやめると伝える意志を固めた。

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そのとき伝える事をメモに書いて

化学療法の先生に会いに行ったときは

すでに3回目の抗がん剤投与の後だった、、、。


ほぼ同時期に

化学療法(抗がん剤投与)の始まった友人二人は

二人とも白血球の数が少なすぎて

次の投与が後伸ばしになっていた。

私ははじめ自分はありがたいと思っていた。

スムーズに治療が進む事が、、、。

しかし、色々な情報を得るにつれ

本当にこれでいいのか、

ますます不安にかられるようになっていった。

『そう言えば、

骨折の可能性が出てきますって、、、

やだよ、、、なんで?』

と、一人押し問答を心の中で

せっせ、せっせと続けていた。

そんな時、どこかの一文に

【足の痺れがきつくなって、

つまづくなら止めどき】というのがあった。

『そうか、、、

最近つまづいて、転んだものね、、、

やっぱり、やっぱり、やめると言おう‼️』


化学療法の若い先生は白血球の量などを見て

『これなら、次も問題ないですねー。』と言った。

だがしかし、私はメモを手に順番どおり、

身に起きた副作用を説明し、

『もう、(抗がん剤を)やめようと思います。』

ちょっと遠慮がちに言った。

若い先生は『えぇっっ❓️❓️だめですよ❗️

どうしてもって言うんなら、

主治医に相談してください❗️❗️』と言った。

次にとうとう主治医の先生に伝える日が来た。

私はやっぱり、メモを片手に

『これこれこういう副作用があって、

もう我慢できません。もう止めます❗️』

やめます❗️って断定して言えたか、

やめたいと思います、、、って弱々しく言ったか、

それは良く覚えてないが、

そのときの先生の言葉だけは良く覚えている。

『あなた!やめたら、死んじゃうよ❗️❗️❗️』

『あなたが、やらなくていいなら、

他の誰もやる必要ないよ❗️』

と、この2つである。

しばらく、おもーい空気が流れて

『じゃあ、それでもやめると言うのなら、

次回ご家族の誰かと来て下さい。

心配かけたご家族の許可がないと

やめられませんよ。』

わたしは弱々しく『はい。』と言った。

さて、家族にお願いするのだが、ここでも

『死んじゃうよ〰️❗️❗️❗️』

攻撃を浴びる。

いや、攻撃ではない。心配しての精一杯の叫びだ。


『あんたが決めるならいいんじゃない?』

と言ってくれた家族と行く事にした。



そうして病院を、後にした。


2016年の秋だった。



決断はどうだったかって❓️


私は今、生きている。


あれからも色々、あったけど


生きているよ


手のりインコと一緒にね😊


I'm so Lucky.


I'm LivinG


Now, ToDAy,


THIS YEAR .